研究者になったわけ(3)(ほぼフィクションです)

大学にいる時間は、ほぼK先生と一緒であった。K先生は初歩の実験から教えてくれた。K先生が必要なときはお手伝いし、他の研究者を訪ねるときなどもよく連れて行ってくれた。お昼はいつも一緒に食べながら、本当に何も知らない私に、さまざまな研究者の話や、最新の論文に書かれていることなどを話してくれた。今、思い返しても、よく相手をしてくださったと思う。私の人生が決まったといってもよい1年間で、感謝の言葉しかない。マンツーマンであらゆることを教わる状況で、急速に知識も増え、できることも増えた。

夏を迎える頃には、BIPMという蛍光色素をNa,K-ATPaseに結合させる実験を始めた。私は仕事にのめりこみ、アルバイトで大学を離れる日以外は、朝から夜9時くらいまで毎日実験していたが、研究は簡単には進まなかった。最初はK先生の指示に全面的に従って実験していたが、次第に自分で考えて研究を進めたくなった。K先生に、全力を尽くすから自分で計画を立てたいとお話しし、常にディスカッションすることを条件に認めてもらった。

秋も過ぎやがて正月という頃。K先生は年度末恒例の研究会に出かけ、私は一人で実験していた。BIPMを結合させたNa,K-ATPaseにNa+ やK+を加えて蛍光強度の測定をしていたとき、突然記録計の針が動いた。ずっと結果の出ない測定を続けていたので、私は何かの振動で針が動いたのかと思った。しかし、繰り返しても蛍光強度は加えるNa+ やK+に反応して変化した。研究会が終わって大学に戻ったK先生に結果を見せたところ、Na+ やK+が結合したことによるNa,K-ATPaseの分子構造変化を示す可能性がある。先生が北大歯学部に赴任してから見る最も重要な結果かもしれないとのことであった。

いい気持ちで正月を迎えたいから年内の実験はこれで最後にしようということになった。年が明け実験を再開したが同じ結果を再現できた。ここまで進むと、あとはK先生の知識と経験によるアイデアで実験を進め、すべての実験結果をそのまま論文のデータとして使えるような日々となった。Na,K-ATPaseがATPを結合したのちに分解する過程の動的な分子構造変化に基づく蛍光強度の変化を捉えたときは、とても感動した。BIPMに関しては世界で初めて私がこの蛍光変化を観察したことになり、研究の醍醐味を感じた。

これはK先生にとっても転機となった。それまで行っていた研究を中止した。私がNa,K-ATPaseにBIPMを結合させて蛍光強度を測定し、K先生のアイデアと研究手法で研究を進め、二人三脚で国際的な一流紙に連続して論文が掲載された。もちろん、私が論文を書けるようになったのは大分先で、論文はK先生が書いた。

先生は、蛍光強度の変化を検出するまでは成果が全く得られないので、一人の時にはリスクが大きく飛び込むことができなかったと私に感謝してくれた。後にK先生が理学部の教授になられたあと、私を、「このひとが私を教授にした」と紹介してくれたことがある。失礼をかえりみず言えば、私が先生の研究の転機になったという点では確かにそうだと思う。一方、私はK先生の共同研究者として、たくさんの共著論文の著者となることができ、研究者としての評価を高めることができた。先生との出会いは、お互いに幸運であったと思う。(続く)


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